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イスタンブール花と心の旅日記(2) インシャーラの効用

女性たちは、いつの時代でもそれぞれの世代ごとに悩みは尽きないようだ。未婚の20代は結婚への不安、30、40代の子育て真っ最中の母親は、子供の教育問題や自分の時間が持てないことへの不満、50代の人は体の不調や嫁姑問題、60代の人は夫婦二人だけの過ごし方への懸念をよく耳にする。私を含めどんな人も、小さな不平不満や心配ごとを抱えながら、このストレスの多い現代社会をけなげに、明るく生きているということなのだろう。
このコラムをご覧になった人だけに、ストレス解消の取っておきのおまじないをこっそりお教えしよう。

皆さんは「インシャーラ」という言葉をどこかで聞いたことがあるだろうか。
直訳すると…「神のおぼし召しのままに」と言って、トルコ人が日常よく使う言葉だ。
昔ケ・セラ・セラ=なるようになるという、小気味の良い歌が流行ったことがあったが、そう言えばあのニュアンスにも若干似ているようにも思う。
日本に帰国してからの私は、この言葉の響き、相手への心遣いと無責任さが懐かしく、その上好ましくさえなるのだから不思議なものだ。

イスタンブール

イスタンブールに暮していた4年間、私たちはファトマというメイドを雇っていた。
眼鏡をかけ、鼻筋の通ったファトマの顔立ちは、どちらかというと白系ロシア人に近く、識字率がそのころ50パーセントという低い中で、ファトマは本が読め、字も書けた。
しかしそんないかにも真面目で賢そうな彼女だったが、彼女は時々無断欠勤した。

「来ない時は必ず連絡してね」。と注意すれば、「インシャーラ!」と、クールな顔をして軽く返事をする。それでは来るのかと期待すれば、みごとにすっぽかされた。

その頃の私は「インシャーラ」の言葉を聞いただけで虫ずが走ったものだ。悩んだ末、イスラム独特のこの言葉に手立てを考えることにした。
「インシャーラ」と言われたら、本心は期待したいのだが、努めて、期待しないようにした。それでも堪忍袋の緒が切れて、「インシャーラ」のルーズさに腹が立ちそうになった時は、こちらから何度でも、納得できる回答が来るまで、アプローチを試みた。日本人の律儀さとトルコ人のいいかげんさの戦いとでもいうのだろうか。

例えば、「明日は晴れるかしら」と尋ねたにしよう。
あちらから、「インシャーラ」と返事が返ってきたら、神のおぼし召しのままに晴れれば良しとし、雨ならば残念、はずれでしたと気楽に宿命的に構えたらと理解すれば良いことになる。
「テレビの調子が悪いのだけれど、火曜日までには直しに来てくれるかしら?」
「インシャーラ」
無理なのだろうと期待しない。万が一、「インシャーラ」が旨くいって来てくれたならばしめたもの。しかし約束の日を過ぎて、3,4日経っても来ない場合は、もう一度しつこくこちらからアプローチした。常にこの位の余裕と寛容さで接すると、トルコ人の中で暮らすのも思っていたより楽になり腹が立たなくなった。

思えばインシャーラとは、傲慢で自分の優柔不断な態度を見せず人に、頭を下げるのが嫌いなトルコ人の国民性と、「アラーの神の思し召しのままに」というイスラムの宗教的観念が合わさった、トルコ人にしてみれば好都合な言葉なのかも知れない。

気付いた時にはお恥ずかしいことに、あれほどインシャーラを毛嫌いしていた日本人である私が、トルコ人に対し、見事に「インシャーラ」を連発していたのだから、おかしくなる。

流れる運命には逆らわず=インシャーラのイスラムの教えは、適当に見える反面、良く言えば適当さの自由、運命に逆らわないところの喜びを素直に感じる。
秩序だった規則にがんじがらめに生きている日本から来た私には、本音をいうと、ほっと息がつける響きの良い言葉になっていた。

「神の思し召しのままに!」=イン、シャーラ
運命は神のみぞ知る。ベストを尽くしたならば、それでいいじゃないの。楽に生きられたら。いつもどこかにこんな気持ちを持っていれば、人生なんと肩肘張らず、楽に生きて行けることだろう。

ある時ファトマが私に尋ねた。
「日本は中流階級のいっぱいいる国と聞くけれど、本当ですか?ほとんどの人がテレビ、冷蔵庫、自動車持っているんですか?」
「ほとんどの人が持っているわ」
「へー、私も中流階級の多い国に住んでみたい。トルコが日本のようになるには、あとどの位かかるのでしょうね。10年、それとも20年?早くそんな日にならないかしら」
遠い日を見つめながら、ファトマの瞳が希望に輝いていたのを私は今でも忘れられない。

今頃ファトマや、人の良いご主人のイスマイルはどうしているのだろう。
彼らの生活や幸せは、私たちの日本の生活に比べると、もろいようにも思えた。
しかし「インシャーラ」という楽天的な考えと、生きる事へのたくましさ、神から授かった豊かなトルコの自然、素朴な人の心。きっと彼らは力強く生きているだろう。そして夫婦の夢である生まれ故郷のアンタリアの町に、小さくとも温かい家庭料理のロカンタができていることを心から願っている。

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