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2006年09月

2006年09月02日

メッセージ(1) ひとりごと

我が家の近くに日本の道百選に選ばれた場所があります。春夏秋冬それぞれの季節に素敵な姿で人々の心を和ませてくれます。
そう言えば若かりし頃、消えてなくなっていくような花をいくら上手に生けたとしても、何も残らず寂しい
と恩師に食ってかかったことがありました。花の勉強を続けるか否か悩んでいた頃だったと思います。
その時恩師は、花も人間の人生も同じようなもの、素晴らしい時があって最後はあの桜のように跡形も無く消えていく、それで良いのじゃないのと微笑んでいらっしゃいました。その言葉でなぜか納得して今の私がいるのですが、後日過去の本をめくっていましたら、なんと恩師の顔写真と今の時代でも感動しはっとするよう素敵な花写真を見つけました。その時私は声を大にして、先生ー、消えてなくなってなんていませんよ、写真って手がありましたね。と天を仰いで叫んでいました。
花を通して、人生勉強させて頂いている私が若い頃も、そして今もいます。

2006年09月05日

イスタンブール 花と心の旅日記(1) 藍色の花瓶

「あの人は今頃お元気だろうか?」とふと思う人がいる。
その人とは、「せっかくイスタンブールに暮らすなら、ボスポラス海峡の見える家に住みたい」と、家族の希望に沿って引っ越した、アパートの階下に住む一人暮らしの女性のことだ。

イスタンブール


引っ越した翌日、可愛らしい包装紙に包まれた大きなチョコレートケーキが、その女性のメードにより我が家に届けられた。
「マダムは年老いて足が不自由なため、お目にかかることができませんが、よろしくと申してました」と、律儀そうな顔立ちのメードはそう言って帰って行った。ケーキの上には「ギュレギュレ、オトルヌス!(どうぞこのアパートで楽しくお暮らしになってください)」という飾り文字が描いてあった。
翌日私は日本から持参した小さな博多人形を持って、階下の女性を訪ねた。
11時ごろだったと思う。チャイムを鳴らすと、重厚な茶色の扉が開き、昨日のメイドが立っていた。
「マダムをお呼びしますのでどうぞ中に」。
メードに言われるまま私はその家の応接間に通された。部屋は薄暗くかすかに呼吸をしているようで、そよ風がやさしく窓辺の青色のレースのカーテンをなびかせていた。メイドに付き添われ白髪の女性が杖をつきながら現れた。小一時間は話しただろうか。亡き夫との調度品に囲まれ女性がひっそりと思い出の中に生きていることを感じた。

わたしたちのアパートの広さは、240平方メートルあった。リビングは70平方メートルあり念願の暖炉もあった。
ボスポラス海峡が眼下に広がり、アジア大陸とヨーロッパ大陸を結ぶ二つの橋も左右に見えるほど、絶景の眺望だった。とりわけ朝もやに霞む対岸の山の頂が、まるで墨絵に描いた雲海に浮かぶ浮島のように見え隠れし、次第に陽光と共に青々とした海峡が現れる自然の摂理のなすがままの情景は、すべてを忘れ陶酔するほど見事なものだった。
イスタンブールで日本政府後援の日本文化フェスティバルがあった際には、夫の会社の独身男性たちを我が家に招待し、ビール片手に「玉屋ー」と恥ずかしげもなく大声で叫んだものだ。「これがかの有名な日本の花火ですよ」と、バルコニーから叫びたいほど、夜空を埋め尽くす日本の花火は誇らしく美しく輝いていた。当然ながら翌日の新聞は日本の花火の話題でもちきりだった。

イスタンブール

初夏になると週末は、海峡を行き交う客船を眺めながら、バルコニーで朝食をとるのが我が家の習慣に
なった。見渡せば隣人達も同じように海を眺めながら食事をしている。しかし、そうやってのんびり過ごしていても、いつもどこかで誰か好奇な目が私たちを見ている、そんな気配を感じた。何処も隣人に対する好奇心はつよいということなのだろう。

昼間アパートはひっそりとし、時々階下の女性のメイドから「マダムからです」と、作りたてのトルコ料理が我が家に届けられた。息子の誕生日の朝のこと、「子供の誕生パーティーのため少々騒がしくなると思いますが・・」と告げに行くと、「子供は元気が何より、楽しいパーティーをしてあげてください」と、逆に温かい言葉が返ってきた。

日本に帰国する際、何やかやと忙しく挨拶を交わすことができなかった私は、階下の女性のことが気になって、私より一ヶ月遅れて帰国する夫に、女性への今までのお礼の手紙とプレゼントを託した。すると
帰国直前の夫の仮住まいのホテルにメイドがわざわざやってきて、「奥様に」とマダムから預かったという包みを手渡した。
一週間後、日本で私はその包みを受け取った。思いがけない包みの中には、藍色のクリスタルガラスの花瓶と手紙が入っていた。
「あなたが日本に帰られたのを聞いて驚き、寂しい気持ちで毎日を送っています。どうぞ皆様がお元気で、お幸せでありますようにお祈りしています」。

彼女からの藍色の花瓶に花を生けるたびに、花の微かな香りとともに、異国で出会った隣人の温かい気配りを思い出す。

2006年09月08日

御連絡(2) スタートしました!

夏休みが終わり松戸のクラスが今日からスタートしました!皆さん楽しい夏休みを過ごされたようで、どの方も溌剌とされていました。帰り際、花を使って表現することが楽しいと顔を輝かせていらしたのが印象的でした。このクラスはほとんどの方が幼稚園から小学校のお子さんを持つお母様方で構成されています。どうぞ御自分のための貴重な2時間を思う存分花と楽しんでくださいね。アメリカのおみやげと紅茶を用意してくださったKさんありがとうございました。お蔭で真剣な中にも和やかな雰囲気の教室が持てたことに感謝致します。

2006年09月09日

海外花事情(1) 草玉から

ここでは生徒さんや私が住んでいた国々の花事情やお国柄を、独自の見方で記入するコーナーです。
皆さん、積極的に、どんどん記入して下さいね。

国名 :トルコ・イスタンブール(草玉)

四季 : ある

花事情 :
 枝もの -花屋の店先には、ほとんど置いてない。入手には知人の庭から切らせて頂くか、
      または市の許可をもらい、公園の木を切らせて頂くしかありません。
 花 - 日本で見かけるものはほとんどあります。
        春。チューリップがトルコ原産なのは、御存知ですか。
        夏。ひまわり、グラジオラス・・・。
        秋。すすき、菊、ききょう・・、森の池のそばですすきを見つけた時は感激しました!
        冬。ぼけ・・。

冠婚葬祭:
 花   -  (葬儀) 白い花中心
       (冠婚) 配色豊かでどんな服でも良いようです。
 服装 -  (葬儀) 暗い色ならばスタイルにこだわりません。

その他:
 地方に行くとヒマワリ畑、ポピーの群生、
 忘れな草の群生を 見ることができます。 

  

国名 : シンガポール(Yさんと草玉から)

四季 : ない  雨季と乾季のみ

花事情 :
 枝もの - 日本に比べぐっと少ない。桜、松、椿(花はない) 柳など。
 花    - 季節限定のものはほとんどない。花材としてよく使われるものには、
       オーキッド(オンシジューム、シンピジュウムなど)・・・日本語では蘭。
       フリージア、ガーベラ、バラ、ゆり、アイリス、くじゃく 草、アンセリウム などがある。

  -シンガポールの国花は蘭で、ホテルのロビーには至るところ、蘭が素敵にいけられてあった。
   (草玉、2006年8月)

冠婚葬祭:
 花   - 中国系シンガポーリアンはおめでたい席に赤い花を使う。ニューイヤーが目前の頃、
       柳、れんぎょ(黄色はお金が貯まると言われ)花屋にたくさん出回っている。

その他:
 南国ならではの花材で生けられるのは良いが、日本のように四季折々のものが使えないのは残念。
 花材は一年中置いてあるものがほとんど。
 オーストラリアからの輸入花が多い。
 ヨーロッパ、アフリカなど 各国から花が不定期に入る。
 日本国内の花屋で売っているほとんどの観葉植物をシンガポールの街角で見かけることが
 できました。


国名 : イラク・バグダッド(YOさん)

四季 :
 夏   - 砂漠気候 日中40度を超える酷暑
       晴天が3ヶ月以上続く事もある
 冬   - 寒暖の差が激しく、降雨もあるが氷点下まで下がる事もある

花事情 :
 花の種類は日本と比較すると非常に少ない
   ブーゲンビリア、ハイビスカス、ランタナ、
   バラ(一般家庭でよく見かける)
 サダム・フセイン統制下において、生(なま)花を公の場にいけるということはほとんどない。
 冠婚葬祭が主。ショーウィンドウでは造花を見た。
 グラジオラスでは花屋をよく見かけた。

その他:
 イラクの主要豊産物としてナツメヤシがある。
 葉4~5m、羽状、雌雄異株。
 戦争時の非常食、保存食、甘味料として使われる。
 乾燥して褐色になった葉軸は生花の木として使う事もある。


国名 :イギリス・ケンブリッジ(Iさん)

四季 : ある
 春(イースター祭)   季節的行事と花のデコレーションはとても関係は深い。
 冬(クリスマス)

花事情 :
 枝もの -  ほとんど置いてない(一般に、庭の植物を使った)。
 花   - 花屋、市場、スーパーマーケットで入手可能。
       花屋では、鉢物・アレンジを扱っている。
       市場では、比較的安価な季節花を入手できた。
          種類は多いが、枯れやすいと言われていた。チューリップ、水仙が10本150円程度。
       スーパーマーケットでは、3~5種類の花がセットで売られている。

冠婚葬祭:
 服装 -  (葬儀) 暗い色なら何でもよい。
       (結婚式)ほとんどの女性が服装に合わせた帽子をかぶる。

その他:
  「日本の生花は哲学のようだ」と思っている人が多い。
  家庭の庭の花材を使う事にプライドを持つ人が多い。
  イギリスアレンジメントは左右対称。形にあてはめていくスタイルが多い。
   

2006年09月18日

海外花事情2 フランス

Mさんから、さすが在住者ならではのフランスの花事情が届きましたので、皆さんにご紹介致します。ありがとうございました。
(Uさん、Yさん、Tさんパキスタン、ニューヨーク、オーストトラリア、アルゼンチンの花事情、届く事を期待して首を長くしてお待ちしています。写真は電子メール添付で送って下さい。)


フランスお花事情
毎日前を通っていたお花屋さんの雰囲気を中心に、季節を追ってパリの人々とお花とのおつきあいについて考えてみました。ちなみにパリでは下記以外でも年がら年中、花束を贈りあいます。週末のお呼ばれなどにはたいてい、ワインかチョコレートか花束を持って伺います。

2月14日バレンタインデー
この日を前に、お花屋さんによっては赤い花などで素敵にディスプレイされて、恋人たち用に情熱的な花束を用意しています。日本と違って、贈るのは男性です。夕方、仕事帰りらしき若い男性が急いでお花を選んでいたり、オープンカーをお店の前に止めてお花をバサッと助手席においてさっそうと走り去ったり、帽子にスーツの上品な年配のムッシュウが花束を抱えてお花屋さんを出てくる光景なんていうのも、とても様になっていてかっこいいです。
3月中旬~4月中旬(日にちは年による)パック(英語ではイースター)のお祭り・休暇うさぎやたまご、にわとりのチョコレートがチョコレートやさんに並ぶころ、お花屋さんには紫と黄色の組み合わせを中心とした花束やアレンジが目に付きます。アレンジや寄せ植えには、ちいさなひよこや鳥の巣の形のピックが刺さっていたりして、かわいいです。

5月1日すずらんの日
この日から一週間くらい、親しい人(特に女性)に1~3本ほどがセットになった小さなすずらんの花束を贈ります。この日は誰でも道端などですずらんの花束を売っていい日らしくて、お花屋さん、ジプシーの花売りおばさん以外にもこどもたちや若者が、家で育てたり、どこかで採ってきた?すずらんを花束にして、角々で売っています。我が家でもこどもたちが幼稚園に行くとき途中で買って、担任の先生に持っていったり、お稽古事の先生に持って行ったりしていました。私もお友達のお子さんからプレゼントしてもらったことがあります。とってもかわいらしくて、素敵な習慣だと思います。

5月母の日
小さいこどもとパパで、ママに花束を買っていたり、小学生くらいの男の子が1ユーロ玉を握り締めてバラを一本買いに来ている姿はとてもほほえましいです。(バラの値段はピンきりですが、茎の長いしっかりしたものが一本1ユーロ以内でも買えたりします。)

6月バガテル公園バラの品評会
世界でも最も権威のある国際薔薇の品評会がパリの西・ブーローニュの森にのなかにある広大な植物園、バガテル公園で開催されます。公園に入るとバラのうっとりとする香りで包まれます。この季節はバラ以外にもいっせいに花が咲き乱れ、園内は見事です。お花屋さんにはいろいろな種類のバラの鉢植えが並び、心を迷わせます。私も転勤族なのに、ついふらふらと大きな白バラの鉢を購入してしまいました。いまはパリに残る日本人のお友達の家のベランダで、きれいに咲いてくれているそうです。

アリスガーデン(2) 2006年9月

9月12日にいけこみしました。
黄色、オレンジ色、それに白と、今週のアリスはまさに「秋到来」です!

アリス

2006年09月23日

イスタンブール花と心の旅日記(2) インシャーラの効用

女性たちは、いつの時代でもそれぞれの世代ごとに悩みは尽きないようだ。未婚の20代は結婚への不安、30、40代の子育て真っ最中の母親は、子供の教育問題や自分の時間が持てないことへの不満、50代の人は体の不調や嫁姑問題、60代の人は夫婦二人だけの過ごし方への懸念をよく耳にする。私を含めどんな人も、小さな不平不満や心配ごとを抱えながら、このストレスの多い現代社会をけなげに、明るく生きているということなのだろう。
このコラムをご覧になった人だけに、ストレス解消の取っておきのおまじないをこっそりお教えしよう。

皆さんは「インシャーラ」という言葉をどこかで聞いたことがあるだろうか。
直訳すると...「神のおぼし召しのままに」と言って、トルコ人が日常よく使う言葉だ。
昔ケ・セラ・セラ=なるようになるという、小気味の良い歌が流行ったことがあったが、そう言えばあのニュアンスにも若干似ているようにも思う。
日本に帰国してからの私は、この言葉の響き、相手への心遣いと無責任さが懐かしく、その上好ましくさえなるのだから不思議なものだ。

イスタンブール


イスタンブールに暮していた4年間、私たちはファトマというメイドを雇っていた。
眼鏡をかけ、鼻筋の通ったファトマの顔立ちは、どちらかというと白系ロシア人に近く、識字率がそのころ50パーセントという低い中で、ファトマは本が読め、字も書けた。
しかしそんないかにも真面目で賢そうな彼女だったが、彼女は時々無断欠勤した。

「来ない時は必ず連絡してね」。と注意すれば、「インシャーラ!」と、クールな顔をして軽く返事をする。それでは来るのかと期待すれば、みごとにすっぽかされた。

その頃の私は「インシャーラ」の言葉を聞いただけで虫ずが走ったものだ。悩んだ末、イスラム独特のこの言葉に手立てを考えることにした。
「インシャーラ」と言われたら、本心は期待したいのだが、努めて、期待しないようにした。それでも堪忍袋の緒が切れて、「インシャーラ」のルーズさに腹が立ちそうになった時は、こちらから何度でも、納得できる回答が来るまで、アプローチを試みた。日本人の律儀さとトルコ人のいいかげんさの戦いとでもいうのだろうか。

例えば、「明日は晴れるかしら」と尋ねたにしよう。
あちらから、「インシャーラ」と返事が返ってきたら、神のおぼし召しのままに晴れれば良しとし、雨ならば残念、はずれでしたと気楽に宿命的に構えたらと理解すれば良いことになる。
「テレビの調子が悪いのだけれど、火曜日までには直しに来てくれるかしら?」
「インシャーラ」
無理なのだろうと期待しない。万が一、「インシャーラ」が旨くいって来てくれたならばしめたもの。しかし約束の日を過ぎて、3,4日経っても来ない場合は、もう一度しつこくこちらからアプローチした。常にこの位の余裕と寛容さで接すると、トルコ人の中で暮らすのも思っていたより楽になり腹が立たなくなった。

思えばインシャーラとは、傲慢で自分の優柔不断な態度を見せず人に、頭を下げるのが嫌いなトルコ人の国民性と、「アラーの神の思し召しのままに」というイスラムの宗教的観念が合わさった、トルコ人にしてみれば好都合な言葉なのかも知れない。

気付いた時にはお恥ずかしいことに、あれほどインシャーラを毛嫌いしていた日本人である私が、トルコ人に対し、見事に「インシャーラ」を連発していたのだから、おかしくなる。

流れる運命には逆らわず=インシャーラのイスラムの教えは、適当に見える反面、良く言えば適当さの自由、運命に逆らわないところの喜びを素直に感じる。
秩序だった規則にがんじがらめに生きている日本から来た私には、本音をいうと、ほっと息がつける響きの良い言葉になっていた。

「神の思し召しのままに!」=イン、シャーラ
運命は神のみぞ知る。ベストを尽くしたならば、それでいいじゃないの。楽に生きられたら。いつもどこかにこんな気持ちを持っていれば、人生なんと肩肘張らず、楽に生きて行けることだろう。


ある時ファトマが私に尋ねた。
「日本は中流階級のいっぱいいる国と聞くけれど、本当ですか?ほとんどの人がテレビ、冷蔵庫、自動車持っているんですか?」
「ほとんどの人が持っているわ」
「へー、私も中流階級の多い国に住んでみたい。トルコが日本のようになるには、あとどの位かかるのでしょうね。10年、それとも20年?早くそんな日にならないかしら」
遠い日を見つめながら、ファトマの瞳が希望に輝いていたのを私は今でも忘れられない。

今頃ファトマや、人の良いご主人のイスマイルはどうしているのだろう。
彼らの生活や幸せは、私たちの日本の生活に比べると、もろいようにも思えた。
しかし「インシャーラ」という楽天的な考えと、生きる事へのたくましさ、神から授かった豊かなトルコの自然、素朴な人の心。きっと彼らは力強く生きているだろう。そして夫婦の夢である生まれ故郷のアンタリアの町に、小さくとも温かい家庭料理のロカンタができていることを心から願っている。

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